適応障害 パニック障害 休職 復職

適応障害パニック障害と闘う日々 Cherry's Diary

適応障害と診断され休職。パニック障害併発。復職までの日々を綴ります。

19.4月7日 救急搬送 ②

こんにちわん🐶

cherryです💕


前回は救急搬送はいかにして起こったかを記させていただきました。

この時困ったことを今回は記します。



〜娘には知られたくない〜

病院へ到着すると、バタバタと血圧計や心電図などに繋がれてながら、看護士さんより、
どなたかすぐ来られる方の連絡先を教えてください!と言われました。
まだ目も開けられない状況の中です。
私は、声を振り絞り、
「誰もいません」
と、告げます。
すると看護士さんは、
「どなたか来ていただかないといけないんですよ?救急車を呼ぶってそういう事です!!ご家族は?」
と、強く呆れたように執拗でした。



これ、私が意識戻ってきたから私に対して言える事ですよね?
意識戻ってなければどうしたのでしょう?
身内がいなければ救急車を呼んではいけないのでしょうか?
頭の中に疑問が飛び交いました。



家族は、娘と親がいます。
と告げると、
今から呼びますので、連絡先教えてください!
強い看護士。
待ってくれよ、体動かないよ、、と心の中は泣きそうでした。
自宅の番号を伝え、電話をかけたようですが繋がらない、と戻ってきて、

看「娘さんいるんでしょう?
娘さんの連絡先教えてください!」
私「・・・嫌です」
看「何を言ってるんですか!教えてください!」
私「・・・絶対無理です」

というのも、もうこの時、時間は0時を回り、1時近い時間。
しかも、娘の家からの帰り道でこんな事になったと、娘には絶対に知られたくなかったし、ここに来られる術もない。
娘が知れば、自分のせいと思ってしまうだろう。
心配して明日からの新生活の邪魔になってしまう。
親として、絶対に知られたくなかった。



この後、娘に倒れた事をカミングアウトしたのは、4月21日でした。

しかも娘の所からの帰り道に倒れてという事は書かず、さらりと伝えました。
それほどまでに娘には知られたくなかったのです。



自宅は年老いた親ですので、寝ているのでしょう。
電話何度かけても出ない、ということで、看護士さんが苛立ち、大きな溜息をつかれ、何度も娘の連絡先を聞いてきました。
そして、救急車を呼んだんでしょう?あなたは!と、強く言いました。


一体何なのでしょう?
誰かを呼べないくせに、救急車を呼んだ私が悪いのか?
死ぬかと思ったから呼んだのに?
意識なければどうしていたのか?
身寄りが無い一人暮らしの人間なんて、この世にいくらでもいるでしょう?
それなのに、何故こんなシステムになっているというのか?
朝になれば親も起きるでしょう?
まだまだ力も入らず立つことさえ出来ないのに、急いで帰らす事が救急病院の使命ですか???



〜親の迎え〜


幸い、何度も鳴る電話で目を覚ました親が、タクシーで駆けつけてくれました。
有難いと思ったし、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。


そして、医師より親へ、
神経調節性失神であり、命を脅かす重篤な病気では無い、ということ。
ストレスを溜めないこと。
水分に気をつける事。
睡眠に気をつける事。
精神科で診察を受けている、とのことなので、この件を報告し、ゆっくりと休む事。
を告げられました。


親はとても強い親なので、私のストレスで薬を飲んでいる事も、
あなたの性格が弱いからだ!
そんなの気合いで吹き飛ばせ!
という親なので、
またこれから色々言われるんだろうと、暗い気持ちになりました。


しかし、
帰りのタクシーの中で、
そんなに辛いなら、会社辞めたら?
と優しく言われ、もう行かないでいいよ?と初めて言われました。
今までは、私が会社が辛い、身体症状が辛くて辞めたい、と言っても、聞く耳を持たず、
何甘えてるの?誰が稼ぐの?辞めるなんて勿体ない!!と、辞める事を反対していました。

優しい言葉に私は、
ありがとう、でも大丈夫だよ。
とだけ答えました。



帰宅は深夜3時を回っており、明日(今日)は会社を休もう、と思いながらベッドへ。

明日休んで明後日は会社行けるだろう、明日朝会社に休む連絡しよう。休み明けに休むなんて、どう思われるだろう?嫌だな。。。
くらいの本当に軽い気持ちでおり、この日から半年以上の休職になろうとは、ひとつも思っていませんでした。



今回は救急搬送で疑問を持った事を記しました。


次回より、休職に入ってからのことを綴ります。


では、また🐶