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適応障害パニック障害と闘う日々 Cherry's Diary

適応障害と診断され休職。パニック障害併発。復職までの日々を綴ります。

①夫と離婚した事は罪か?「セックスレス」

こんにちわん🐶


cherryです。


低空飛行中ですが、前回は義父の葬儀の件で、やむを得ない事情により離婚した事の罪について綴りました。
そこで肝心な離婚の経緯を書いていない事に気付き、記しておく事にしました。


前回の記事はコチラ ↓

https://tsukinohikaricherry.hatenablog.com/entry/2019/12/14/143921


このブログのテーマである適応障害には関係がないのですが、鬱病に関係する事だと思い、書く事にしました。


赤裸々に綴りますので不愉快な方はスルーしてくださいね。



〜結婚直後から〜


結婚した直後より、まずセックスレスで悩みました。
↑いきなりコアな話題ですみません


新婚であれば愛し合う事は当然であり、求められる事は女としての喜びであると私は考えますが、夫は月に一度さえ求めてはきませんでした。


週末には期待してベッドに入る。
しかし、抱いてもらえない。

私に魅力が無いのか?
愛されていないのか?
悩みに悩みました。


そのうち、義母から、
まだ子供は出来ないの?
若いからって遊びたいのはわかるけど、早く作ってあげてね。
という言葉から始まり、大体生理の来る頃には、どうだ?という確認が入るようになりました。

する事してくれないんだから、赤ちゃん出来るわけ無い。
そんな事、自分の息子に言ってくれよ、と毎回電話を受ける度に辛かった。


そして夫にも、

お義母さんから責められるのが辛い。
お願いだからしてください。
私にそんなに魅力が無いのなら努力するから。

と、泣いて懇願した事もあります。


週末期待してベッドに入ってもしてもらえない。
横で眠る夫の寝息を聞きながら何度も泣きました。
そのうち、横で眠る事も辛くなり、一人ベッドを抜け出してリビングのソファーで泣きながら寝る事が増えました。



愛されている実感を得られない。
悩みに悩みました。

自分から誘ってみても、
女からそんな事を誘うなんて下品だ、とも言われました。



何故してくれないの?
と聞けば、
疲れてるんだ、と。


私はまだ若い。
このまま女として枯れていくのは嫌だ、と言えば、
外ですれば?とも言われました。


悲しかった。
辛かった。


自棄になり、他の男性との浮気もしました。

こんなに綺麗なのに、なんで旦那は抱かないのか意味不明なんやけど?と、当時の彼は言ってくれていた事が女としての喜びでした。
そして、外でしろと言った夫が悪いんだ、私は間違っていない、女として枯れたくないから仕方ないんだ、と、自分を正当化していました。



最初の一年目、このような感じで、私の頭の中は離婚ばかりを考えるようになりました。


愛されたい。
だけど愛してもらえない。


私を抱けないのなら、お願いだからせめて毎日抱きしめてキスして欲しい。

夫へそんなお願いをしていたので、それだけはしてくれていました。
悲しいお願いですよね。
それだけを支えに毎日を送っていましたが、度重なる「孫はまだか」攻撃に心底疲れ果て、二年目でついに離婚して欲しい、と夫へ申し出ました。


すると、意外な事に夫の返事は、

俺はお前を心の底から海よりも深く愛している。
出来なくてごめん。
とても仕事で疲れてるんだ。
これから努力するから、離婚はしたくない。
離婚するくらいなら俺は死ぬ、と言い、二階から飛び降りようとしたのです。


私はその夫の言葉で、夫を信じよう、と思いつつも、その後も抱いてはくれない夫に対し、気持ちをどう整理したら良いのか、悩み続けました。



〜転機が訪れる〜


夫が大阪転勤を命じられました。

珍しく二人で飲みに行こう、と誘われ、久しぶりにデートした居酒屋でその事を告げられました。


ついてきてくれる?
という言葉に、
当たり前やん!
と答えた私に、
ついてきてくれないかもと思って怖くて言い出せなかった、
ありがとう、と夫は涙ぐみました。



大阪での生活が始まると、お互い初めての土地であり、頼る人もなく、今までが何だったのか?と思えるような生活に一変しました。
普通の夫婦になったとでもいいますか、二人で仲良く平凡な暮らし。
週に一度は抱いてくれるようにもなり、今までごめんね、と何度も夫に謝られました。


しかし、待望の赤ちゃんを授かる事は出来ず、結局不妊治療へと向かいます。
そうすると、タイミング的にしなければならない呪縛に、また夫は非協力的となりました。
私の子宮内膜症もひどくなる一方で、妊娠すれば治ると言われてはいましたが妊娠に至らないため一旦妊活は諦め、手術をする事となりました。



手術をする為に帰省した福岡で、生理中に診察に来るよう指示を受けていた私に奇跡が起こりました。


診察に行かなければならないというのに、生理が来ない。
精神的なものか?と思っていました。

まさかね。
あれだけ漢方飲んだり必死になっても出来なかった赤ちゃん。
出来てるわけ無いよね?



しかし、なんと授かっていたのです!


諦めた途端出来る。
よく言われますよね。
まさにその言葉通り、でした。


出来ている事実を、私は誰よりも早く伝えたかった相手へ電話しました。
それは、お義父さんでした。
とても優しく大好きなお義父さん。
孫を心待ちにしていたお義父さんに一番に伝えたかった。
その頃は携帯など持っていませんでしたので、夫への連絡は後になりました。
お義父さんの喜んだ声。
その時の声や話した内容、自分の眼に映る景色。どれも鮮明に覚えています。




離婚の話を書くつもりが、前提を書くことで長くなってしまいました。
この前提がなければ離婚にも繋がってこないので書かさせていただきました。


長い前提をお読みいただきありがとうございました。
次回に続きます。

では、また🐶