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適応障害パニック障害と闘う日々 Cherry's Diary

適応障害と診断され休職。パニック障害併発。復職までの日々を綴ります。

②夫と離婚した事は罪か?「鬱発症」

こんにちわん🐶


cherryです。


夫と離婚した事を罪と捉え、子供達へどう償っていくべきなのか、再確認した新たな悩みに苦しんでおります。


その離婚について書いていなかったので綴り出しましたが、大前提であるセックスレスであった事を書き、前回は終わってしまいました。


人の結婚生活など興味も無いでしょうし、適応障害にも関係していないのですが、鬱病に関係しておりますので、続きを綴らさせていただきます。


前回の記事はコチラ↓
https://tsukinohikaricherry.hatenablog.com/entry/2019/12/17/145910


〜子供が誕生してから〜


とにかく幸せで幸せで
可愛くて可愛くて
たまりませんでした 笑


しかし、沢山のママ友と知り合い、お話の中でよく出てくる話題は、
二人目どうする?
というもの。


上の子が生まれた病院で、いきなり義母に、
二人目がんばらなきゃね、と言われた私。
女の子だった為に、次こそは男の子を、ということです。
産んだ直後、痛みから解放された直後のこの時の言葉を、かなり辛い思いで聞いた記憶があります。


子供が出来てから全く夫婦関係は無くなっていました。
なので二人目は、お願いしてしてもらい、なんと一回で授かりました。



子供がいる。
そしてまた妊娠した。
だから夫婦関係が無くても大丈夫。
それが当たり前だよね?
そう自分に言い聞かせてはみるものの、ママ友たちの、
妊娠しててもこんな体位なら大丈夫だって!とか、
旦那がしたがって大変!こっちは少しでも寝たいのにね!
とか話しているのを笑って聞いているうちに、また寂しさに苛まれるようになりました。


思い切って、みんなしてるみたいよ?してみる?ということを冗談めかして夫に言ってみました。


すると、返ってきた答えは非情なものでした。


そんなデブな体と出来るわけないやろ?
お前デブな男と出来るか?
それと、お前血管見えすぎて気持ち悪いんだよ!
自分の体鏡で見てから言えよ!



ショックでした。
悲しかった。
妊娠しなきゃ良かった、とさえ思いました。

デブなわけではない。
妊娠したからだ。
色が白いので、妊娠したら余計に血管が透けて見えてしまう。
妊娠さえしなければ抱いてもらえたのに。
愛してもらえたのに。


下の子に妊娠中本当に申し訳ない事を思った事、これも人生の中で後悔している一つでもあります。


その言葉がショックとなり、段々と大きくなる体に喜びを得られなくなり、
鏡に映る自分の姿に嫌悪感さえ持ちました。
妊娠を後悔し、夫への不信感から話せば罵られると思うようになっていきました。
会話はどんどん減っていきました。




〜二人目の出産から鬱へ〜


二人目の出産も里帰り出産でした。
陣痛が始まった事を夫へ連絡すると、
会議があるからいつ行けるかわからないから、と冷たく言われ、
たった一人で出産した暗い色の中の記憶です。
生まれた次女の顔が夫に非常に似ており、見た瞬間に嫌悪感を抱きました。
(ごめんね、娘。その一瞬だけだからね。その後は可愛くてたまらなくなったからね!)


産後、すぐに福岡への転勤となり、そのまま私は福岡の実家へ身を寄せました。
実家へ来た夫の私への態度。
そして、ビクビクして話せない私。
私の母は、一体どうしたの?と心配していました。



家族四人で福岡での生活が始まりました。
産後痩せていくのは当たり前なのですが、異常に痩せていく姿。
夫に話せず怯える姿。
笑うことの無くなった姿。
見かねた母に、出かけよう、と連れていかれたのは、心療内科のクリニックでした。


診断は、鬱病でした。


母は、病院の日は好きな事をして育児を忘れて遊んでおいで、と子守を引き受けてくれました。


鬱病と知った夫は、
慣れない地で疲れていた事、
成果を上げられず福岡へ戻された事への苛立ちを私にぶつけていた事、
私に申し訳なかったと、謝ってきました。
しかし、私はもう夫といる事は苦痛でしかない。
愛されたいと願っていた気持ちも消えていました。
こんなにもこんなにも私は悩み苦しみ続けた。
もう解放してくれ、と別居を決めました。
その流れで離婚したかった。


親同士もうまくいっていませんでした。
こんな軟弱な嫁で息子が可哀想だ。
と義母が言えば、
うちの娘はこんな不幸にする為に嫁に出したわけじゃない、結婚する前は明るく元気な子だったのに!と母が言う。
私が精神的なものからくる腸炎で入院した時も私の目の前で言い争う程でした。



〜夫から自殺宣言を受ける〜


別居後、離婚を申し出た私に対し、夫からの手紙が届きました。


私と子供達を愛している。
私をこんなことにしてしまい、申し訳なかった。
でも、離婚は考えられない。
私と子供達を失うなら死にます。



驚き電話をかけても繋がらない。
私のせいで自殺したらどうしよう?
ザワザワと恐怖でたまりませんでした。
ようやく繋がった電話で、夫は号泣していました。
もう一度チャンスをください、と。
生きていけない、戻ってきて欲しい、と。


私は、自分の幸せや、病気を治す為に離婚するのか?
自分本位だったのではないか?
自分の幸せよりも、夫の幸せを考えるべきではないのか?
こんなにも私を必要としてくれる人がいるのに、私は自分の幸せを優先するのか?



そして、私は悩んだ末、自分の幸せや病気を治す事よりも、夫や子供達の幸せを考え、夫の待つ家へと戻る事にしたのです。




また前置き第二弾が長くなりました。
とりあえず、このまま鬱病発症から離婚までをしばらくは書き綴っていきたいと思います。


ではまた、次回🐶