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適応障害パニック障害と闘う日々 Cherry's Diary

適応障害と診断され休職。パニック障害併発。復職までの日々を綴ります。

⑤夫と離婚した事は罪か?「廃人から鬱寛解」

こんにちわん🐶

cherryです。


バタバタとしていて更新が遅れました。


今回はその後鬱病寛解までを綴ります。



~退院後廃人の日々~


退院後は全く動く事が出来ませんでした。
ただ宙を見てるだけで転がっている状態。


活字中毒とも言える私が、何も読むことも出来ず、目の焦点も合わず、本当に転がるだけの廃人。


家事は全て親。
薬の管理は夫。


夫が帰ってくると母は
今日はこの子少し笑ったのよ?
と話しているのをボーッと目だけ開けて聞いてるような状態。


いつか暗い泥沼の中から急に光がさし、目の前が急に明るくなるからね、と医師から言われてはいましたが、廃人の私にはそんな日など自分自身も家族も来る事など信じられませんでした。


辛く死にたくなっても睡眠薬は夫に管理されているため無い。


そのため、風邪薬など全ての薬を飲み、その度に夫が病院へ担ぎこみ、胃洗浄を受け入院。


疲れ切った親からは、
今度は確実に死ねる方法で死んでくれ、とまで言われていました。


度重なるODにより、医師からは、
死にたくなったら24時間いつでも注射してあげるから病院においで、
と言われていたので時間構わずよく注射を打ちに行っていました。


その後少しずつではありますが、動けるようになり、前回の記事の末期の方々の世話をしに行く日々となりました。


以前アルバイトをしていたファストフード店の店長から、社会復帰のために入れる時だけ働きに来てみてはどうか?と、優しい言葉を頂き、少しだけ働く事も出来るようになり、薬の管理も私が行うようになっていきました。

本当に私は人に恵まれています。
感謝しています。


~廃人から目覚めたこと~


その後順調であったのに、薬の管理が自分で出来るようになった為に、ついまた苦しい気持ちになった時、溜め込んだ薬で再度自殺を試みてしまいました。


意識が戻ったICUで、末期に入院する仲間から最初に告げられたこと。


Kさんが、私の意識が戻る直前に亡くなったよ、と。
どうしてまたこんな事をしてしまったの?
Kさんは、きっとcherryさんに命を託したからcherryさんは助かったんだと思う。
Kさんはcherryさんの中に生きてる。
もう、自ら命を絶たないと約束して欲しい。

そう言って仲間は泣きました。
もちろんその仲間も余命幾ばくかの仲間です。


自分の愚かさに、私は本当に深い後悔と、Kさんの命が私を救ってくれた事を、絶対にもう無駄にしてはいけない。
生きよう!
Kさんの分まで、生かされたこの体を大事にしよう。

そう目覚めたのです。


寛解への光は突然に~


その大量服薬をする直前に、ある会社の事務員へ応募し面接をしており、結果待ちとなっていました。


ICUから末期病棟へ移動した時に、会社に合格したという知らせを受けました。

まだ活字すら読むことも出来ないというのに。


しかし、生きようと決めた私は、体調を崩しているので2週間後に、という約束をし、会社へ入社する為2週間で退院し、社会へと出ました。


生きよう、という意識は強固なものとなっており、そして社会に出た事で急激に世界が激変しました。

幸い会社は非常に居心地よく、優しい方々ばかりだった為、毎日仕事へ向かう事が楽しみになり、いつしか活字を読む事も、社会生活を送ることも難なく出来るようになっていき、本当に医師の言葉の通り、急激に目の前が明るく光で満たされ、モヤモヤから輝く世界へと見える景色が変わりました。


その後、仲間の世話は続けましたが、全ての方が亡くなりました。

その命に私の命は支えられている、見守られている。
今もその思いは変わりません。


薬も断薬がどんどん進み、ある時からは自分が鬱病だということが信じられない程となり、いつしか病院へ足を運ぶこともなくなり、自然と精神科への通院は途絶え、寛解に至りました。



~今思うこと~


鬱病は、怠けだとか、気のせいだ、とか言われる理解の得られにくい病気です。
しかし今思うのは、明らかに私はあの頃、間違いなく病気だったのだと強く思います。


そして、寛解に至るきっかけというものは、人それぞれですが、必ずある、ということ。

生きようと決意し就職したからこそ、
辛い、死にたい、等という事を考える暇すら無くなった起点。
これが上手く重なったからこそ、急激な寛解を迎えました。
突然光が差す日は訪れる。
医師の言葉通り、何かしらのキッカケが寛解へと導くヒントだと思えます。


本当に紛れもなく廃人でした。
今はTwitter等ありますので、活字を読む事もできるのでしょうか?
私はその当時何一つ、本当に何一つ興味も無く、眠りも食べる事も生きていくことに最低限必要な事さえも出来ず、テレビ、活字、音楽、全てのことへの興味も会話や目を合わす事すら出来ない虚ろに目を開けているだけの廃人でした。


それでも支え続けてくれた両親、夫へは本当に言葉にならない程感謝しています。


これだけの感謝がありながらも、離婚に至った経緯についてはまた次回から綴らせていただきます。


ではまた次回🐶