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適応障害パニック障害と闘う日々 Cherry's Diary

適応障害と診断され休職。パニック障害併発。復職までの日々を綴ります。

義父との別れ

こんにちわん🐶


悲しみ抜けやらぬcherryです。



前回は愛犬の死について綴りました。
この悲しみが癒えるには時間しかないのかな、といったところです。


前回の記事はコチラ ↓

https://tsukinohikaricherry.hatenablog.com/entry/2019/12/13/180503




今回は同時に亡くなった義父との別れについて記しておきます。




〜嫁として〜


愛するちぇりーが亡くなり、悲しみの渦中、元夫よりLINEにて義父が亡くなったと知らせが入りました。



私は優しい義父が大好きでした。
離婚後も会いたいとずっと思っていました。
いよいよ危ないと知った時、元夫に会いに行きたい、とお願いし、会うことが出来ました。



その時義父は、私の手を握り、
こんな嬉しい日は無い、と泣いて喜んでくれました。
普通離婚した相手の親に会いに行くなど考えられないでしょう。
でも、離婚しても家族であり、大好きな気持ちは変わらなかった。
亡くなる前に会っておかないと後悔する、と思ったのです。


それからひと月。
大好きな義父は亡くなりました。



知らせを受け、愛犬の死で悲しみの渦の中、更なる悲しみ。
言葉ではうまく説明のしようがありません。


愛犬が亡くなり、義父の知らせを受けた翌日、愛犬を火葬し、その足で通夜へと向かいました。
用意されていた席は、喪主側の席。


夫は、私と離婚している事を、義母にも親戚にも伝えておらず、別居している、となっておりましたので、私は長男の嫁として通夜から葬式、精進揚までを務めねばなりませんでした。
田舎の為、家族葬ではなく、100名以上バスなどで訪れる大掛かりな式でした。



式中、ただただ悲しくて、喪主の義母、元夫、娘達と並び、挨拶をしておりましたが、一人ボロボロと泣き続け、娘達から背中をさすられ、大丈夫かとずっと心配されました。
別居中の嫁のこの姿を、親戚はどんな思いで眺めていたのでしょう。


嘘をついて、喪主側に居るべきでは無い私は果たしてこれでいいのか?
お義父さんに申し訳ない。
こんなことなら何故私はもっと早く大好きなお義父さんに会いに来なかったのか?
愛犬の時もそうでしたが、離婚してしまった罪。
離婚さえしなければ、皆幸せであったのでは無いのか?
複雑な感情と悲しみの底で、訳の分からない涙がとめどなく流れました。



〜親戚の目〜


義母も義父の兄妹も、元夫の従兄弟も、私を嫁としてよく来てくれた、と労ってくれました。
しかし、義父の事を大好きだった従姉妹は、私と目も合わさず、今日はありがとうございます、と言っても無視でした。
挙げ句の果てに、霊柩車に乗っていく位牌や遺影を、本来なら血縁の義母、元夫と私、若しくは長女が持つべきところ、その従姉妹は私が持つ、と言って聞く耳を持ちませんでした。
当然別居中で義父の面倒を見なかった私の存在など、面倒を見てきたその方にとって憎しみの対象であった事でしょう。



しかし、私は離婚していた身。
まさか10年以上別居中になっているなどとは思いもしていなかった。
この事を知っていたなら、もっともっとお義父さんに会いたかった。
お世話したかった。
その人よりも、離婚さえしていなかったら、離婚している事実を告げていない事を知っていたなら、もっともっと側にいれたはずだった。
とても深く深く心えぐられる思いでした。



全てを終え、帰り際に女性達から労いの言葉と、そして残された義母をよろしく頼む、とお願いされました。
高齢の義母を一人で置いておくことが心配でならない。
あなたしか面倒を見る人はいない。
毎日でも電話して様子を聞いて欲しい。よろしく頼む、と。


わかりました。
ありがとうございます。


そう答えるしかありませんでした。




〜実母の憎しみ〜


祭壇など全てを一通り終え、帰宅。
愛犬の死や義父の死を受け止め、心身共に落ち込み帰宅すると、我が家の愛犬が、
おかえりー!
と、尻尾を振って出迎えてくれました。


一緒に帰宅した次女はその姿を見て、

「生きてるね」

と言いながら泣き始めました。

私も、安堵というか何とも表現しきれない後悔や悲しみや葬儀の事などで、嗚咽しながら泣いてしまいました。



その姿を見た実母より、

何をあなたが泣く必要があるの?
お義父さんはたしかに良い人だった。だけど、私はあなたを酷い目に合わせたあの家を許すことは出来ない。
あなたは泣く必要などどこにも無い!
しかもなんであなたが式に参列しなきゃならなかったのか、理解できない!
と説教されました。


親として娘を酷い目に合わせた相手方を憎む気持ちが消えない。
当然かもしれません。
でも私には憎む気持ちは一切ないのです。


そういうことじゃないでしょ?
悲しいものは悲しい。
ほっといてくれ。


と、言いながら次女と泣きました。



〜これからのこと〜


今は何も考えられません。
義母の事も、娘達への罪をどう償って生きていくのかも。
今は今でしかなく、未来の道がまるで見えません。


今日の心理の診察で先生より、

遠藤周作三浦綾子を読み込み、キリストに傾倒しているからこそ「罪」として捉え、償うということを考える私に対し、

客観的に言うと、それは罪ではない。
あなたがその時その時を必死に生きてきた結果が今である。
罪と捉えるのは、あなたが怒りや憎しみの感情が無く全て自分が悪いと考えてしまう思考から生まれる。
あなたはあなたの人生を肯定して生きてもいいのではないですか?
人がどう、とか、人のために、とかではなく、あなたのために生きてみませんか?と。



今は心身共にまだ何も考えられません。
それでも毎日はやってくる。
悲しみは時が癒してくれる事でしょう。


とりあえず日々に感謝しながら、日常を取り戻し、それから今後は考えていきたいと思っています。


ではまた。