適応障害 パニック障害 休職 復職

適応障害パニック障害と闘う日々 Cherry's Diary

適応障害と診断され休職。パニック障害併発。復職までの日々を綴ります。

⑥夫と離婚した事は罪か?「ついに離婚」

こんにちわん🐶

cherryです✨


年末年始とバタバタし、更新が遅れました。

鬱が寛解した時期を前回は綴りました。

前回の記事はこちら↓
https://tsukinohikaricherry.hatenablog.com/entry/2019/12/25/130838


にも関わらず、その後どうして離婚に至ったのか?

今回はやっとタイトル本題です!(遅っ!笑)



~夫が働かなくなる~


鬱が寛解し、私はパートで入社した会社で正社員となり、忙しい毎日を送っていました。
家族仲は良いものの、夫婦間はもう男女ではなく、パパとママでした。


そんな中、突然夫がリストラに。


私も働いているから大丈夫!次にもっといい会社に巡り会えるよ!!

最初はそんな励ましをしながら気楽に考えていました。


しかし、仕事が決まってもすぐ辞めてしまう。
そのうち面接すら行かなくなった夫。
持ち家の返済等で貯金はどんどん減っていきました。
所詮正社員といえども14万程の女性の給料ではとても暮らしていけない。
なのに、夫はキッチリとお小遣いの5万円を要求しました。


なぜ家族の為にせめてアルバイトでもしてくれないのだろう?

そうは思いながらも、夫がリストラで受けた心の傷は大きいだろうと思い、何も言わずに私はヤキモキしていました。


それが数年。


鬱で散々迷惑をかけていた私。
この苦労は神様が与えた罰だ、といつしか思うようになりました。
夫を支えることで償うべきなのだ、と。


周りから、働きもしない最低の旦那、しかも夫婦間の愛はない。何で離婚しないの??と、言われていました。


それでも、償わなければいけない、という考えが大きく、
何故こんなにも辛いんだろう?
と思いながらも必死で働き、深夜一人でお風呂の中で泣く毎日でした。


私はもっと手取りのいい会社への転職をし、夫を支えましたが貯金は底をつきました。


~限界を感じる~


リストラされてから5年。
必死で頑張っても夫は働かず、お金は足りない。
それならば私が今以上に働けばいいのだ、と思い、正社員で働いた後、夜の7時から25時まで食堂で皿洗いのバイトを始めました。

その為夕食を作る事が出来なくなり、夫へ子供達の夕食をお願いしていました。


しかし、子供達から夜、
お腹空いた
とメールが入るように。
深夜帰宅すると酒を飲んで寝ている夫。
お腹を空かせたままリビングで寝てしまった子供達。


そんな日が続き、ある日何かの糸が切れたように夫の前で、


もうこんな生活いやだ!
どうしてこんな苦労しなきゃいけないの?
なんで子供達の面倒すら見てくれないの?
と、叫んで号泣しました。


夫への不満を言ったのは、この一回きりです。




~ついに離婚~


もうお金も体力も限界を迎え、親に相談しました。
もうお金が無くて無理だ、と。


すると、父から言われた言葉で心が軽くなったのです。



俺はお前をこんな苦労させるために嫁に出したんじゃない。
愛しているなら頑張れと言う。
だけどお前は結婚当初から悩んでいたじゃないか?
もう愛してもいない男のために頑張らなくていい。
まだお前は若い。
人生のやり直しはいくらでも出来る。
戻ってこい。
俺はもう歳だ。
お前の苦労して泣いてる顔を見ながら死にたくない。
俺はお前の笑顔を見ながら死にたい。



そして、両親は自分の家を増築し、帰ってくるところを作ったから離婚して戻ってこい。
もう苦労しなくていいんだぞ、と。



自分の命を粗末にした罰を償わなければいけない、という呪縛から、親に幸せな姿を見せたい、という意識が上回り、「離婚」という選択を私はすることにしました。


結婚生活17年の幕はこうして閉じました。




~離婚後~


前述で離婚後も特殊形態の家族であるということを書きました。


こういった経緯で離婚に至ったこと。

あの鬱の時支えてくれた夫を恨む気持ちにはなれないこと。

そして何よりも、子供達の親は私たちしかいない、ということ。

それが今の特殊形態の家族となった経緯です。


大変長くなりましたが、これで離婚についての経緯は終わらせて頂きます。

特殊形態の家族もいることをご理解いただければ、と思います。


今、こうした経緯で離婚に至ったけれど、子供達に対しては本当に申し訳なく、離婚してしまった罪は重い、と罪の重さに苛まれています。


一体私はどうすれば良かったのか?
あの時、父の想いを捨ててまでも、頑張るべきだったのか???

答えは何度考えても出てきません。



次回より、また本ブログの適応障害闘病の日常について記していきたいと思います。


ではまた🐶