愛するちぇりーの死
こんにちわん🐶
cherryです。
私の名前であるcherryは、私の愛犬の名前からいただきました。
うちの子は「ちぇりー」です。
娘二人が幼い頃、家族の一員として迎え入れました。
子供達が名付けたため、ひらがなの
「ちぇりー」
となりました。
その17年後
愛するちぇりーは
2019.12.9
お空へ旅立ちました。
クリスマスプレゼントだよ!
と、連れて帰った日のことを忘れられません。
大喜びの子供たち。
小さなちぇりー。
ちょうど今の時期のよく晴れた日でした。
幸せでした。
〜ちぇりーとのお別れ〜
昨年は敗血症を起こし、苦しみました。
そこから奇跡の生還をしましたが、高齢のため次回危なくなった時は諦めなくてはならない、という覚悟はありました。
薬による延命治療をずっと続けてきました。
それにより、年寄りながらも元気にご飯を食べ、ヨボヨボしながらお散歩し、元気に吠え、甘え、私達のアイドルでした。
可愛くて可愛くてたまらなかった。
一日でも長く側にいたかった。
今回は急にご飯とお水を飲む事が出来なくなりました。
覚悟を決め病院へ入院。
せめて少しでも苦しまず、楽に旅立たせたい。
その一心。
しかし、最後は家で看取りたい。
その思いがありましたので、安楽死という医師からの言葉に悩みました。
でも、何度も何度も考えましたが、どうしても出来ない。
自らの判断で命の灯を消す事など、とても出来ない。
一秒でも長く生きていて欲しい。
12月9日早朝、病院から電話があり、非常に危ない状況にあるため、すぐに迎えにきて欲しい、と。
勤めに出ている娘へ連絡し、二人で病院へ向かうと、ぐったりとしたちぇりーが。
まだ息はあり、娘が抱っこをすると、とても安心した表情に変わりました。
タクシーを呼び、家に到着。
すると、娘が一言。
ちぇりー、亡くなってると思う。
え!!?
実はタクシーに乗る前に、腕の中で大きく息を吐いてから、呼吸が止まったのがわかった、と。
急いで家に入り、いつものソファで二人で、
ちぇりー?
ちぇりー?
ちぇりー!!!
と名前を呼びながら、呼吸や脈拍の確認をしたところ、
息絶えている事が確認できました。
その後のことは、きっと犬を亡くされた方ならお分かりと思います。
号泣という言葉では表せません。
恐らくちぇりーは、最後の力を振り絞り、愛するお姉ちゃんの腕の中で逝く為に頑張ってくれたのでしょう。
寝ているだけ。
今にも起き出して、尻尾を振りそうなのに、まるで動かない。
冷たくなる体。
苦しくないように、点滴等のチューブを泣きながら外し、綺麗にブラッシングや体を拭きあげました。
みるみる冷たくなる体にアイスノンをしてあげる。
このことさえ、たまらなく辛かった。
寒いよね、と、嗚咽しました。
一晩一緒に過ごしたい。
私達は一晩、ちぇりーの冷たくなった体を撫で、抱きしめ、語り続けました。
翌日、火葬する斎場へ向かう家からの棺は、家族皆でちぇりーが好きなものをたくさん描き、メッセージを書き込んだダンボールに安置し、連れて行きました。
そしてちぇりーは、とても晴れた青空へ旅立ちました。
普通は骨の一部しか拾わないのですが、娘がどうしても全て、と強く希望した為、全てを骨壷に納めると、ちょうど2.8キロ。
まるでちぇりーを抱っこしているような感覚になれましたので、良かったと思っています。
〜愛犬の死を受け止めること〜
悲しみはふとした時、あぁもういないのだな、という虚無感と共に深くなる事と思います。
私は離婚をした為に、ちぇりーを長女と主人へ託しました。
それでも、大好きなちぇりーに会いに行っておりましたが、長女は母親と妹と別れた寂しさをちぇりーという妹の存在で紛らしていた青春時代を過ごしています。
逆に、次女は、
本当は家族四人でちぇりーと一緒に暮らしたかった、と泣きながら言いました。
ちぇりーは私が育てると譲らなかった長女に譲ったのだと。
離婚さえしなければ、家族4人でちぇりーと暮らす事が出来た。
離婚せざるを得なかった状況。
いたしかたなかったとはいえ、離婚して子供達を傷つけた私の罪は重い。
愛犬を亡くした事への悲しみと、娘たちへの罪と、そして後日記しますがこの日同じくして義父が亡くなった事による精神的肉体的ダメージは非常に大きく、これからどう立て直していかなければならないのか、見当もつきません。
娘達の想いも、どう償っていけばいいのか、わかりません。
〜本日の診察で〜
本日の主治医の診察で、
「罪」
なのか?
それは違う、という話になりました。
そして、
娘たちに対して、愛犬に対して、
こんなママでごめんなさい。
こんなママで申し訳ない。
と、泣きじゃくる私に、主治医は、
こんなママなのに、ママと呼んでくれてありがとう。
じゃない?
ごめんなさい、じゃないよ?
ありがとう、だよね?
と、言ってくださいました。
主治医はすごいですね。
悲しみの中にある事を悟られないように、普段よりもちゃんと髪も巻き、化粧もして、しっかりとした身なりで診察室に入ったというのに、
わたしの姿を見るなり、
とてもお疲れだね?
何かありましたね?
一瞬で見抜かれました。
まるで何か占いを当てられたかのような衝撃を受けました。
主治医は、こんなヤブ医者でも、表情や顔を見れば誰でもわかるよ!と笑っていましたが、見ぬけられるとは思ってもみませんでした。
やはり、よくみてくださってる。
主治医の前ではどう繕ってもお見通しなのだ、と感じた診察でした。
泣いて話して、あとは明日心理の先生にアドバイスを頂こうと思っています。
「死」は必ず訪れる。
人間であろうと、動物であろうと。
別れを乗り切る事が課題。
と最近先生とよく話していた事。
今は虚でまだ何かどうすればいいのか、わからない。
時の流れで、神道の「中今」の教えを感じています。
明日は心理の診察。
そして、義父の死について、また後日記しておきたいと思います。
最後に
ちぇりーと幼き娘達。
過去は戻らない。
だけど、
幸せだった。
確かに幸せでした。