適応障害 パニック障害 休職 復職

適応障害パニック障害と闘う日々 Cherry's Diary

適応障害と診断され休職。パニック障害併発。復職までの日々を綴ります。

誕生日燃え尽き症候群

こんにちわん🐶


cherryです。




3月5日に誕生日を迎えたワタクシ。


誕生日は自分が生かされている意味などを自分自身に問いかけ、精神的に不安定になる事が多いのです。


どこまでネガティブやねん!笑


しかし、今年の誕生日はツイキャスなどで多くの方に祝って頂き、とても幸せな気分ではしゃいでおりました。



今回は、心理の診察で誕生日特有のネガティブ感情を引き出され、見事精神的に落ちてしまったことを綴ります。




~心理の診察で先生に問われたことから~


まず、リハビリ出勤が始まって身体症状の辛さを報告しました。



身体症状が意図せず出てきてしまうことへの絶望。

社会生活すら出来ないという絶望。

焦り。

恐怖。

普通ではない、頭がおかしいのだ、と思ってしまう悲しさ。



すると、先生は身を乗り出し、私の目を真っ直ぐに見ながら、



「絶望、、、。死んでしまおうかと思った?」



と、問いかけてきました。


私は、
「いや、死んでしまってはいけないといつも思っています。」

そう答えながら、涙があとからあとからこぼれ落ちました。



そうは思っているものの、自分が何をしでかすのか怖い瞬間がある。

全部投げ出して楽になりたい。

突発的に、衝動的に、またあの薬を大量に飲んで消えてしまおうと行動してしまいそうな自分がいつもどこかにいて、それが抜けない。


楽になっていいよ。
もうああなっていいよ。
いつも拭えないこの思い。


必死に首根っこ捕まえて、歯止めをかけている自分をいつも感じている。



そう話しながら泣きじゃくり始めてしまい、私は自分の心の根っこにあるトラウマの部分を話し始めました。



~誕生日だったからこそ~


誕生日だから思うこと。


今私は生かされているからこそ、こうして誕生日を迎えることが出来た。

あの時死んでいたら、今の私は無い。

子供の成長を見る事も、こうして誕生日を祝ってもらえることも無かった。

しかし、かつての自分、うつ病だった頃の自分に戻ってしまいそうな思いと闘っている。

あの頃にはもう戻りたくないのに。



私は生かされている。



なのに、せっかく生かされたのにまたこんな精神疾患になって、
一体何をやっているの?

一日一日を、新たな命をちゃんと生きていかなければならないのに。


私はKさんの命も受け継いでいる。


Kさん、こんな私でごめんなさい。



そう話しながら、号泣していました。



~先生より~


まず、私が号泣しながら話したあと、一言。


「切ないなぁ、、、。」


気持ちを共感してくださいました。



そして、その私に対してアドバイス



結果的に今その気持ちに歯止めをかけている事実を信じましょう。

恐らく51対49の戦いかもしれない。

しかし、ギリギリのところで止めている事実。

これを一回一回積み上げていくことが自信となっていきます。


なぜこんな心の状態になっているのか?

自分で自分の首を締めている心の癖がある。

この心の癖を自覚し、気付き、手動運転にしていくしかない。

そうすると、少しずつ心は楽になってゆく。


「身体症状が出る事は、今まで通りの生き方を出来ないよ、というサインである。」


若い頃からの癖のままではいつまでも身体症状は出続ける。

これを直し、見直していくこと。


生き方を変えていくことはとても難しいよね?

365歩のマーチでね。

少しずつね。



先生はそう言って微笑みました。



普段心理の先生はひたすら傾聴の中で私の思考の癖を気付かせてくれるのですが、この日は泣きじゃくる私に対してアドバイスをしてくださいました。


診察室を後にして、トラウマの部分を思い出し、話し、泣きじゃくったことで、心はかなり疲弊してしまいました。

そして、この後、燃え尽き症候群のように心も体も酷く落ち込み、カーテンも開けぬままひたすらベッドで過ごす日を数日続けてしまいました。



心理の診察はトラウマと向き合うことで乗り越えていく事もあるので、こうした辛い日もあります。

蓋をして出てこないように必死になっているのに、それを開けるのですから。


それでも、今までの生き方ではもう心も体も悲鳴を上げている事実。

変えていかなくてはならない未来。

そのことだけは、強く心に刻んだ診察でした。


また次回にその後は綴ります🐶
お読み下さりありがとうございました。