適応障害 パニック障害 休職 復職

適応障害パニック障害と闘う日々 Cherry's Diary

適応障害と診断され休職。パニック障害併発。復職までの日々を綴ります。

休職開始からリハビリ出勤が決まるまで

こんにちわん🐶

cherryです🍎


やっとリハビリ出勤が具体的になりましたーー!!!㊗️


休職したものの復職というものはどのような段階を踏んでいくのか、ずっとモヤモヤとし続けました。
12月の超繁忙期は避けていただきたい、という人事部の要望から、1月からのリハビリ出勤が決まりました。
それまでに復職支援プログラムを受けることを指示され、本日やっと1回目の電話相談1時間の予約いれました。
その電話にて症状等の経緯を話し、担当カウンセラーを決められ、通院という形となるようです。


〜リハビリ出勤までの道〜


週1から週2の通院をしながら、ここまでの経緯を記しておきます。


□4月

昨年10月より通院服薬をしていた私は倒れて休職に至り、
主治医より、これからは年単位の治療になること、復職をするという事であれば服薬をしながらになるという事をまず告げられました。
倒れたばかりで自分の中ではすぐにでも復帰できると思い込んでおり、休職というよりも少しだけ休ませていただいて、長くても2週間程度で復帰する予定でいましたので、復職について考える余裕も何もなかったです。


□5月

ゴールデンウイーク明けには、と考えていましたが、体調はパニック障害を併発し急性期に向かい、外出も出来ず打ちひしがれます。
いつから復職可能かという診断書が欲しいと会社より求められますが、主治医はそれは出せない、との回答。
なぜなら、いつ治るか、いつから出社出来るかなどわからない。尚且つ、例えば年内にはなどと計画を立てて治療が進む、進められるとも限らない。目に見える怪我や病気では無い、という見解。
自分自身は有休の切れる5月いっぱいで復職したいと焦りだけ募り、体調は心身ともに悪くなる一方。
もう頑張るのをやめよう?
という主治医の言葉でやっと気持ちが楽になりました。
長くなる休職というものをやっと受け入れる事が出来るように。
診断書については、いつ治るという診断書は出せない代わりに、細かに出すと会社へ回答。


□6月

自分自身の体調は回復せず、欠勤になるという事で諦めの気持ちですっきりとし、治療に励もうと決意。
所属長へは近況をメールにて報告。
診断書休職期間延長。


□7月

パニック発作は薬の追加により落ち着き始めたものの依然体調は優れず。
この頃から焦りが酷くなり、不眠が顕著となりました。
8月には復帰したいという思いと裏腹に、電車には乗れず絶望感でいっぱいに。
診断書休職期間延長。


□8月

とにかくゆっくりと好きなことだけをするよう指示を受け、諦めの思いで好きなことをして過ごす日々。
もしも復職するという気持ちと体になった場合、会社への報告するタイミングというものがわからず、医師に尋ねると、
電車練習がうまくいき、会社の最寄り駅まで行けてから考えたら良い、と諭されました。
焦るな、と。


□9月

最初の診察で、10月から時短勤務が可能か会社に確認するよう主治医より指示を受け、所属長へ10月から復職の意向を示す。
体調は一気に逆行し、非常に悪くなり抑鬱で布団から出られず。
所属長からの返答は無く、本社と話し合いに横浜へ行くので待っていて欲しいとの回答がやっと月末に来る。
回答もなく、自身の体の不調もあり、焦りと迷いの中を彷徨った月。


□10月

9月頭に10月より復職の希望を出していたが、結局本社からの回答は10月初旬。
どのような段階を踏むのかさえ分からず、復職申出書のみ送られてきた私は何が何だかわからない状態でモヤモヤと回答を待つことに。
話し合いの結果、私の希望通りに全てを調整かけるとのことで、佐賀か福岡かどちらでリハビリを開始するか主治医の見解で決めて欲しい、とのこと。
ここで初めてリハビリ出社、という段階を踏むということを知りました。
主治医より福岡が望ましいとの回答を受け、人事部へ返答と同時にリハビリ出勤開始時期の延期を申し出。
福岡への電車練習開始。
リハビリ期間も休職扱いとなる為、長めの診断書を、とのことで11月末まで休職期間延長の診断書を取る。


□11月

初旬福岡への電車練習成功のため、人事部へリハビリ出勤開始の申出。
そこで初めて任意だが復職支援プログラムを受けるよう指示される。
リハビリ出勤可能診断書取得。送付。
医師との話し合いにより、復職支援プログラムは受けない事を伝え、リハビリ出勤開始の申出を再度したところ、人事部の判断により超繁忙期、異動期の復職をプログラム無しでは支えていくことが困難なため、1月からのリハビリ出勤とされる。
その間に復職支援プログラムを受ける事を指示される。



〜診断書と近況報告〜


診断書については基本的に毎月頭にその月までの休職を要する。というものを人事部へ郵送。
それを写真に撮り、メールに添付して所属長への近況報告をしていました。
随時何か会社での必要書類や連絡事項があった場合は、所属長よりメールが入り、その書類等を受け取った際は近況と受け取りましたという確認メールをしておりました。

基本的に人事部とは電話。
所属長とはメールでのやり取りでした。
急ぎの時のみ、所属長より、今から電話大丈夫ですか?とメールが入るので、折返し電話をかけるスタイルでした。



〜休職者への扱いが確立していない〜


お恥ずかしいのですが、我が社は上場企業でありながら、メンタルで病んだ地方勤務社員への復職支援の制度が全く整っていない状況と感じます。
それぞれの事業所に指定医は定められているものの、産業医は定められていないのです。
関東であれば人事部担当者が主治医との三者面談をしているが、地方では行われなていない現状。
よって、所属長もこれだけ長いメンタルでの休職者が出た事が初めてであったこともあり、どのように復職へ導くべきか手探りであったこと。
このようなメンタル疾患者の復職で、その事業所において私に誰かをつけるというようなシステムが全く存在しないこと。
外注の支援プログラムを受けなくては、時間的にも業務的にもリハビリ出勤から復職への判断を出来る者がいないこと。

東証一部上場企業といえどもたかだか社員数1500名程度の小さな会社。
まだまだ制度が追いついておらず、それなのにメンタル疾患での休職者が増え始め、戸惑っているところ、といった印象を受けます。

大企業で復職支援が確立されている会社であれば、もっと的確なアドバイスの元に復職を気持ちの整理をつけながら進める事が出来たであろうと思います。

また逆に、もっと中小であればこれだけややこしくも無く、
復職したい?じゃあ面談しようか!
と、産業医や上長との面談で簡単に
事は早く進むのかもしれません。
中途半端な大企業の社内制度の弱さが浮き彫りに見えた気がします。



〜私の思い〜

自身も身の回りにこれだけ長いメンタルでの休職者を見たことがなく、復職というものがどう進んでいくのかモヤモヤとずっとわかりませんでした。
相談できる人もいない。
もちろん自分の体も、ここまで出来るようになれば復職を考え出して良い、という目安も全くわかりませんでした。
いつ治るのかもわからない。
症状は一進一退であり、良い時は明日にでも働けるやん?と思うのに、後退すればこんなんじゃ仕事など出来ないと絶望する。
そんな日々の繰り返し。
Twitterだけが頼りでしたね 笑


とにかくわからない。
なにもかも。


昨日やっと、ハッキリと1月からのリハビリ出勤開始という事が決まり、気持ちがスッキリとしています。


私の心身的な事を言えば、今尚少しの不安もなく外出をする事は皆無です。
いつも不安を抱え、薬を常備しながら外出を続けています。
電車もまだ混雑する電車への乗車は出来ない状況にあります。


いよいよリハビリ出勤まであと1ヶ月。
不安なく外出出来るよう、日々心を強くしていく事を念じて過ごしていきたいと思っています。



今回は発症からリハビリ出勤開始がハッキリと決まった状況を時系列で記させていただきました。

これからは復職支援プログラムに挑みます。
これについても随時記させていただきたいと思っています。


ではまた🐶