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適応障害パニック障害と闘う日々 Cherry's Diary

適応障害と診断され休職。パニック障害併発。復職までの日々を綴ります。

休職中のお金のこと

こんにちわん🐶

cherryです🍒


今回は休職中落ち込みの一つとなったお金のことについてです。
一般社員として働く極平均的な母子家庭の地方女性社員のケースとなります。


前提として、我が家は母子家庭で毎月の暮らしさえカツカツの状態でありました。
娘に金銭的理由から大学編入学は諦めてほしい、とやむなくお願いしたものの、バイトしても奨学金を利用しても行きたい、という娘の強い希望があり、私も頑張って働こう、と編入学をさせてあげることに。
元々普通の高校に行きたかったはずなのに、大学まで行く費用の事を考えると国立の高専への進学が一番経済的に楽なはず、と自ら選んでくれた道。
だからこそ就職では無く大学の編入学を希望するのは当然。
私の経済的状況で進路を決めざるを得なかった娘。
ならば、私が死ぬ気で働いてでも大学へ行かせてあげたかった。


娘の大学編入学を控え、3月4月で貯金を使い果たし、自社株も200株程売りに出し、ほぼすっからかん状態。
アパートの契約、家具の購入、大学の入学金、保険、ミールカード等予想以上にかなりのお金が飛んでいきました。
二人の娘の卒業式だけでも10万は使いましたし、3月三人の旅行でも10万程使って散財しておりました。
まさか給料がなくなるなどとは思いもせず。
ただ、大学編入学にあたり、娘は給付型奨学生に受かったため、24万程入学準備金をいただくことができ、それは娘に全額何かあったときのために渡せたのでラッキーでした。


〜最初の2ヶ月は余裕〜

休職始まりが4月6日。
4月5月は有給がありますので通常通りのお給料が出ました。
残業代無しの基本給20万ということになります。
社会保険料等差し引かれて手取り15万程。
お休みさせていただいているのになんてありがたいのだろう!と感謝しかなかったです。
残業代がつかないのでいつもよりは少ないものの、外出も出来ませんでしたし、なんとか生活出来ました。
なので最初の2ヶ月はお金の事を考えたりしていませんでした。
なんとしてもこの有給が切れる前に復職しなければ給料が無くなる!という思いで焦りだけが募りました。



〜有休終了して泣く〜


□6月

これからは欠勤扱いとなるため、給料の支払いは無い事を月初めに会社から連絡を受けます。
そして傷病手当についての書類が送られて来ました。

幸い6月は夏のボーナスが支給され、それでなんとか食いつなぐ事が出来ました。
ボーナスとはいえ休職者。
手取りで20万強程度でしたが有り難かった。
これを娘の大学授業料に充てました。
この無給初月にボーナスという月でなければ完全無給ということになります。
私はラッキーでした。

しかし、蓄えの残りはごく僅か。
かなりの焦りを感じました。


□7月

7月に入り、初めて6月分の傷病手当の書類を医師に書いていただきました。
初めてでわからない事もあり、医師への提出が7月10日近くなり、そこから医師が書類を上げてくださるまで一週間。
ですので、会社への提出が7月20日頃に。
しかも不備があるとのことで本社とのやりとりに手間取り、結局本社を通るのが月末に。

7月完全無給。
蓄えの無い私。
ここにきて生活が出来ない!とやっと気が付きます。
精神がかなり落ち、どうしよう?どうしよう?と悩みに悩んだ末に、親から援助を受けました。
情けない。。

お金を借りる、という選択肢もあったことでしょう。
しかし、私は別れた元旦那の借金の保証人になったため、元旦那が支払いを拒否したことで私が自己破産に追い込まれた過去があります。
別れても家族。
助けたかったからこそ保証人になってあげたのに、裏切られました。
私が浅はかだったんですね。
でもそれは私が浅はかだったという事なので、その時は人生終わったと泣きましたが、今は何も恨んでいません。
しかし、借金が出来ない、という事で、この時ばかりは何で私がこんな目に合わなきゃならないの??
とひどく落ち込みました。
借金も出来ないのなら、食べていけない。死ねというのか???
非常に苦しかった。


□8月

やっと健康保険事務所より6月分決定通知書が7日頃に届きました。
待ちに待った決定書。
しかし、会社から支払われた日は20日。
しかも8万円でした。
絶望を感じました。

額面24万の60%ということで、まぁ色々引かれても10万くらいは手取りあるかな?と考えていたのです。
2ヶ月分の通勤費が引かれていました。

娘のアパート代は4万円。
携帯代2万5千円。
暮らせない。とてもじゃないが暮らせない。

額面を見て一気にまた抑鬱が酷くなりました。

再度親へ援助を受ける事になりました。
情けない。
年金暮らしの親に援助を受けなければ生きていくお金さえ無い。


□9月

会社のLTD保険に加入していた私は、給料の60%が保険組合から支払われ、残り40%の70%をLTD保険から支払われるため手続きに入ります。
計算すると6万円程になります。
待機期間は90日ですが、これは休職を開始してから90日なので、休職認定の6月1日からではないのです。
4月6日から90日待機、とのこと。
とてもとても有り難かった。
よって、7月6日から8月5日分をいただくためには、8月分傷病手当書類のコピーを有する為、9月に入ってからでないと手続きに進めませんでした。

LTD保険の期間は3年間。
万が一再休職になり、傷病手当が切れても、3年間給料の7割は保証される為、下手にバイトをして体を痛めつけるよりもゆっくりと休める、という安心感を持てます。
月々数百円。入っていて良かったと、加入していた自分偉い!と心の底から思っています。


□10月

傷病手当は落ち着き、社会保険料等引かれて12万弱。
LTD保険は6万円程。
やっとここにきてなんとか落ち着きましたが、12月に支払わなければならない娘の大学授業料のため、少しでも貯めておかないと払えません。
とてもではないですが、とにかくお金のゆとりが無い。
授業料はボーナスをあてにしていた為、それが無いので本当に毎月貯めておかなければ払うことが出来ない。
その中での電車練習は一日千円もかかります。必要不可欠な経費とはいえ、重なればかなりの出費。
辛いです。
授業料は今払える状況に無いので、どうしよう?と不安でいっぱいのところです。


4月休職開始でなんとか額面は少ないものの落ち着いたのはこの10月。
半年後の事でした。


〜まとめ〜

休職に入る、ということは、ある程度の蓄えが無いと人生の絶望を味わいます。

有休を消化し、傷病手当の初支給は、2ヶ月以上は無給になる覚悟をしなければなりません。
単純に給料がひと月24万だったのなら、50万近い蓄えが無いと生活が出来なくなる、ということです。


私の場合、借金も出来ないので親に援助を受けました。
後々返すつもりでいます。

独り身であれば節約もなんとかなるかもしれません。
しかし、家族を養う身であると、そうはいきません。
我が身だけでは無い。家族を食べさせて生かさせていかなければならない。

しかも、傷病手当で安定といえども、60%ですから、とても生活は困窮します。
そこを補填できる預貯金が無ければ破綻します。


健康に勝る幸せはない。
だからこそ働かず休職という道を選んだ。
選ばざるを得なかった。


しかし、正直に言います。
働いていても精神的、肉体的にも地獄。
働かなくても金銭的に預貯金が無ければ地獄です。


金銭的に余裕を持って計画的休職が出来るように、日々の貯金というものの必要性を感じます。
しかし、私のように母子家庭でカツカツで生活してきた身。
どうしろというのでしょう?
この経済苦から死んでしまいたい、と思う方も少なくないのでは?と、本当に切実に感じました。


この無給期間が無いような国の福祉制度が出来ることを切に願っています。


以上私の金銭的な事を包み隠さず記させていただきました。

これを読んだ方で休職中の方、これから休職をされる方、色々な思いやケースがある事でしょう。

人は働いた対価を貨幣で受け取る。
至極当然な事。
働いていないのに、お金が無くて苦しかったという発信をしても意味のない事かもしれません。
しかし、精神疾患だけで無くある日突然休職になる方は年々増え続けています。
誰もが生きる権利を持っています。
誰もがこのような時でも安心して体を休める世の中になりますように、願いながら今回はこの辺で。


では、また🐶